旧池長孟邸『紅塵荘』
野崎通の閑静な坂道の住宅街にある春日野会病院(旧池長孟邸『紅塵荘』)
1928(昭和3)年、「身上潰して南蛮狂い」と自ら称した
南蛮美術収集、研究家の池長孟の自邸兼サロンとして建てられたものです。
木々の間からちらりと見える建物、塀、アプローチ。豊かなハイカラムードが漂うな。
建物裏側は、まる見えで雰囲気一転。妖しく美しい。
ステンドグラス。かっこいいアイアンワーク。
ちなみに昭和3年、紅塵荘を建てたころの池長孟の妻は「サヨナラ、サヨナラ」の淀川長治の姉、富子さん。
「~淀川富子は飛びきりのモダンガールであった。指折りの別嬪だったことは竹中郁のお墨付きであるが、ジャズとパーティーとファッションをこよなく愛し、のちに南蛮美術館を設立した池長孟と結婚してからも映画やダンス、ゴルフにと連日の外出を重ねた~」【西秋生,「ハイカラ神戸幻視行」,神戸新聞総合出版センター」】
わお。わくわくする話。
バルコニーが見える3階の部屋で夜な夜なダンスを楽しんでたのか、、、ためいきのモダンライフが想像できる。
しかし、なんと病院建て替えのよう。この時は工事関係者はいなくて建て替えの規模など詳しくはわからないが、まさか紅塵荘なくなってしまうのか、、、
1928(昭和3)年、「身上潰して南蛮狂い」と自ら称した
南蛮美術収集、研究家の池長孟の自邸兼サロンとして建てられたものです。
木々の間からちらりと見える建物、塀、アプローチ。豊かなハイカラムードが漂うな。
建物裏側は、まる見えで雰囲気一転。妖しく美しい。
ステンドグラス。かっこいいアイアンワーク。
ちなみに昭和3年、紅塵荘を建てたころの池長孟の妻は「サヨナラ、サヨナラ」の淀川長治の姉、富子さん。
「~淀川富子は飛びきりのモダンガールであった。指折りの別嬪だったことは竹中郁のお墨付きであるが、ジャズとパーティーとファッションをこよなく愛し、のちに南蛮美術館を設立した池長孟と結婚してからも映画やダンス、ゴルフにと連日の外出を重ねた~」【西秋生,「ハイカラ神戸幻視行」,神戸新聞総合出版センター」】
わお。わくわくする話。
バルコニーが見える3階の部屋で夜な夜なダンスを楽しんでたのか、、、ためいきのモダンライフが想像できる。
しかし、なんと病院建て替えのよう。この時は工事関係者はいなくて建て替えの規模など詳しくはわからないが、まさか紅塵荘なくなってしまうのか、、、
by ampmh
| 2014-04-11 17:01
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